« パソコン | トップページ | カイロツアー3 シタデル編 »

2006年6月24日 (土曜日)

入門者たち

自分にはそんなつもりはありませんが、JOCVの隊員など『素人』から見ると「小野さんって腕が太いですよね~。」と見えるそうです。『そうかな?』と力こぶを作ってやると、「うわっ、すげー。筋肉のつき方が、なんかイビツですよね。」 『・・・』

合気道のクラブにはいろんな人が入門してきます。他の武道経験者も多いです。特に柔道が多い。青い道着が目立つのはその関係もあるみたい。ボディビルが趣味、というのもいます。『ミシュラン』のマスコットみたいな身体をしています。半分、こちらを試すつもりで来ているので、いいかげんな技ではどうにもならない。私の「イビツ」な筋肉も役に立たない。地味な動きに物足りなくてすぐにやめていく人もいます。そのかわり、一度『ハマる』と「センセイ、センセイ」と信頼されます。

「ジュードーやテコンドーもいい。でもあれは勝つためのゲームだ。勝ってメダルが欲しいなら他のスポーツをやればいい。今のジュードーには『嘉納センセイ』の哲学が無いが、俺は 【 philosophy behind the game 】を知りたいんだ。」

二十歳そこそこの「子」にこんなことを言われたら、オチャラけてばかりもいられないです。しかし元々が格闘技や日本に興味のある人たちですから、こちらも『マジメ』に向き合えば理解は得られます。ただ、『自分が合気道の中にいるからそういう人ばかりと接するのである。他の武道から合気道を見ると全く違う評価がなされているかもしれない。』ということは常に考慮しなければ『井の中の蛙』です。

基本、本筋というものを見失わないようにしなければいけません。もっと翁先生を( 技も philosophy も)勉強しなくては! 

|

« パソコン | トップページ | カイロツアー3 シタデル編 »

コメント

「合気道の稽古の疲れは『気持ちいい』から好きなんだ」そうです。

投稿: 小野健次 | 2006年6月27日 (火曜日) 午前 07時04分

最近、書き込みをしようとしても、できないのはなぜなのです!!!!

投稿: 副島@同志社 | 2006年6月27日 (火曜日) 午後 10時35分

↑あ、できました。なんでだったんだ???涙

投稿: 副島@同志社 | 2006年6月27日 (火曜日) 午後 10時36分

 ↑ 副島君
   せっかくだから、もう少し何か書いておくれでないかえ?

投稿: びっぐふぇいす | 2006年6月27日 (火曜日) 午後 11時40分

なぜに書き込めないかを考えてみました...

①エジプトだから
②回線の都合
③俺のパソコンの異常
④小野先生の嫌がらせ


④に決まりでしょう!!!!笑

やっぱ、合気道をしていて強く感じるのですが、受けは本当に重要ですね。これは頭を使います。すなわち知識がいるということですね。

behindの知識と、合気道の精神性とか歴史、加えて師範の人生観とか気分とか体調とか、すべてを考えなければなりません。

小野先生の場合は、宗教プラス外国語も加わって、筆舌に尽くしがたい困難さでしょう・・・きっと。
私のようなデリケートな人間は、さっさと帰国してるでしょうが、合気道をプロとして教えている小野先生は避けては通れない道ですね。

竹田さんが開いたビデオ鑑賞会で思ったのですが、阿部先生は他の師範よりもphilosophyを重視している気がします。二木先生の禊の話や、書道の心構えや神教など、高尚な学問的香りを感じます。

竹田さんは阿部先生のビデオを観ながら語りました。

「他の武道の人や、他の流派の人が阿部先生の技を見たら、『なんだ?いんちきか??』と思うかもしれない。でも我々は黙って真剣にこのビデオを見ている。まして嘲笑など入り込む余地はない。なぜならば我々は、実際に肌で感じ、その技に到達するまでの知識を知っているからだ。」

こういった言葉にも表れているように、いかに合気道をやっていく上で知識が大切かわかります。

私ももっと勉強していくことを誓います。

こういう感情からでた勉強が、真の意味で勉強といえるでしょう。これは合気道だけにいえることではないですが…。
「勉強はなぜしなければならないの?」という質問が世の中には流布しておりますが、愚問で有ると思います。自ら知らない知識を欲するということ・・これは人間の人間であるべき本当の姿である気がします。勉強は人間が生きていくうえで必要な行動なのです。その行動様式を便宜的に「勉強」と名づけたのです、おそらく。よって「なぜ勉強をしなければならないの?」と質問することは「人間はなぜ人間でなくてはならないの?」ぐらい陳腐な質問であります。

私は、もっと生きていくために勉強をしていきます。人間として生きるために!!!

投稿: 副島@同志社 | 2006年6月29日 (木曜日) 午前 12時22分

ご無沙汰しております!!
いつも日記を大変楽しく拝見させていただいております。今回は「ここしかねぇ」と勝手に自分で判断して書き込みをさせていただきました(笑)

僕も砂○さんも元気に合気道(と少しの研究)に励んでおります。一回生と話をするのは刺激的であり、少しジェネレーションギャップを感じます。改めて、白紙の状態の一回生に教える難しさを痛感してます。それを思うと、言葉も十分に通じない人に合気道の良さを伝えようと努力なさっている小野先生の頑張りには頭が下がる思いです。

しかし20歳そこそこでその考えを持つとは・・
エジプトっ子は精神年齢が高いんですかね(笑)?

投稿: 豆@京府 | 2006年6月29日 (木曜日) 午前 12時22分

付け加えます。

勉強するだけではだめなんです。実際に学び取ったことを実行して行かなければダメなのです。

ご存知の通りパスカルは『パンセ』で
「人間は考える葦だ」
と述べました。しかし、これは単なる比喩であって、この言葉だけでは「井の中の蛙」と同義そのものであると私は考えます。
「葦のような存在の人間が考えているから凄いんだ」ではあまりに浅すぎる解釈であります。
つまり、この言葉が言いたいのは、生物界でもっとも非力であるだろう「葦」が、その自らが生物界において、もっとも非力であることを自らが知っている ということが他の動物と一線を画す ということである。このことが葦の考えている内容であり、なおかつ人間の本質を捉えている短文になっているのです。
しかし、このままではいけないのです。葦は弱いままです。言うなれば知識だけ有るがどうしようもない破滅的存在です。だからこそ、その状況を打開するための行動が必要になってくるわけです。考えているだけでは井の中の蛙になりかねません。「考える葦+αの力」が必要なのです。

これは逆に、戦争や自然破壊を肯定する短文にもなりかねませんが、おそらく学問をしていく上ではよい解釈になるかもしれません。

投稿: 副島@同志社 | 2006年6月29日 (木曜日) 午前 01時11分

豆君
久しぶりですな。
20歳の子というのは『演武会』の写真で白と黒のTシャツを着た眼鏡の男です。私より背が高くて男前で力が強い。私の最も嫌いなタイプでしたが、(君は好きですよ)その会話の後に好ましく思うように(決して特殊な意味ではない)なりました。
インターネットのおかげで、彼らの情報量はとにかく『物凄い』ものがあります。

投稿: びっぐふぇいす | 2006年6月29日 (木曜日) 午前 06時53分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 入門者たち:

« パソコン | トップページ | カイロツアー3 シタデル編 »