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2008年3月31日 (月曜日)

東京編【お礼参り】

【お礼参り】というと今ではややマイナスイメージの言葉に取られがちですが本来は「神仏にかけた願が成就したお礼に社寺に詣でること」です。

エジプトへの出発前、故事に倣って《鹿島立ち》をしたので、無事の帰国を感謝して、鹿島神宮にお参りしてきました。 
鹿島立ち:遠い旅路への出発。律令時代、東国武士が鹿島神宮で必勝祈願をしてから、大宰府のある北九州に赴いた事に由来する。 》

いまではJリーグの鹿島アントラーズの本拠地として有名な茨城県鹿嶋市は日本の武道のメッカといえる所です。「剣聖」塚原卜伝の出身地でもあります。東京駅から高速バスの直通便で2時間。1780円。樹齢数百年の木々がそびえる境内は、いつ訪れてもきれいに掃き清められていて空気も清々しい。・・・カイロとえらい違い。5 4 2 3

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東京編【湯治】

滞在中のホテルは京葉線の八丁堀駅のすぐ傍で、東京駅から一駅。温泉付きで東京ディズニーランドへも近い。春休みとあって親子連れも多く見られます。

帰国手続きの日程の合間を利用して上野公園内にある「下町風俗資料館」など見物しました。
『こんなところを案内したら、エジプトの連中は喜ぶやろなー。』などと、【ビッグフェイス・ツァーズ 日本編】のプランを練りながら。

A B C D

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2008年3月29日 (土曜日)

帰国編【春爛漫】

東京の桜は満開ですね。滞在しているホテルの傍の小さな公園もきれいに咲いています。6 2_2なんでも、「ソメイヨシノは挿し木で増やすので全て遺伝子が同じ。だからいっせいに咲くんだ云々・・・。」とかTVで言ってましたが。


『それにしてもTVのリモコンのボタンがやたらに増えておるな。ついて行けんわ。』1_30_3
などと「ボヤ」いていると、館内の火災警報が鳴った。
こっちはホンマの「ボヤ」騒ぎ?結局は感知機の誤作動でした。 

5 4_2 タクシーの初乗り料金の高さに驚き、ガソリンの価格に驚き、女性の体の細いことに驚きつつ歩いていると、ふと気付いたら横断歩道の無いところを車をさえぎりながら渡っていました。これにはドライバーが驚いたやろ。いや、つい習慣で・・・。

・・・などということを嫁と電話で話していたら
「そうそう、昨日 【あのヒト】 から電話があったわ。《小野君、そろそろ帰ってくるんじゃなかったですか?》って。連絡してたん?」
いえ、全然連絡してませんでした。
しかも電話があったのは羽田に着いて空港を出た時刻でした。
・・・やはり私は、一生 【あのヒト】 には逆らえぬ。

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帰国編【キツネウドン】

カイロを飛び立って14時間、関西空港に到着しました。

『ここから帰らせてくれへんかいな。』
でも、いったんは東京に行かないとだめなわけですわ。

当面必要な荷物以外は宅配便で自宅に送る手配をして、国内線ロビーへ。
結構せわしない。後で聞いたら何人かは荷物の「破損」やら「未着」があったらしいですからラッキーな方だったかもしれませんが。

で、チョイと一息ついて軽く食事を摂ることにしました。
思えば20年前、パプア・ニューギニアから戻ったときに親友が東京で出迎えてくれました。
「晩飯は何を食いたい?」
『キツネウドン!』
その頃はまだ珍しかった関西風のうどん屋、「杵屋」に連れて行ってもらったものです。
あのときのキツネウドン。最高に美味かった。

今回も同じように美味かったです。
「3杯目」は・・・無いでしょうけど。D E

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帰国編【経由地、ドバイ】

帰国の経路はドバイ経由関空、そして羽田。
エミレーツ航空はエジプト航空と違ってアルコールのサービスがあります。早速ワインを注文してしまった。

各席にはモニターが付いていて(今時、珍しくないか?)映画もゲームも楽しめる。
日本人の乗客が多いですな。
ドバイ空港はやたらにでかくてきれいです。
エジプトで付き合ってた連中が「アラブ諸国」に関してあまり好い印象を持っていなかった影響か、私も同様。なんだか、「金に物を言わせて」作った感じ。ホンマに物を言うたらやかましくてしかたなさそう。

乗り継ぎ便を待っていると、一般のツァー客とは【異質】の東洋人の若者達がゾロゾロ。
『17-3の方ですか?』(平成17年度3次隊、という業界用語です。)
「あ・・・、はい。ルワンダ(ケニアの隣り)と、あっちはヨルダン組です。」

なんとなく、「ニオイ」で分るものですな。・・・お互い様か。

写真は・・・説明無要でしょう。ただ、左の写真を撮ったときは警告されました。A C B

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帰国編 【見送り】

帰国当日、当ブログの【エジプト編の最終回】を更新し終わった後、JICA事務所で挨拶をしました。女性職員が美人ぞろいだっただけに実に名残惜しい。(おっと、つい本音が。)

家に戻り、忘れ物が無いかチェックの後、家主さんにも挨拶。
『お世話になりました。ほな、帰りまっさ。』
「今度、エジプトに来たら必ず電話するのよ。」と、婆さん、涙を流しながらハグハグ。
《オレ、よっぽどエェ店子やったんかいな。家賃が他より高かったんやろか?》
と、勘ぐりたくなるような・・・イヤイヤ、素直になりなさいよ「元・センセイ」。

携帯が鳴った。
『ガワッドさん?どうしました?』
「いや~。ひょっとしてセンセイ、気が変わって、エジプトに残る気になったかと思って・・・。」
『なりません。』

見送りには、ご近所のJOCV隊員のマハ子ちゃんと合気道の生徒達が8人ほど来てくれた。
カイロ空港はチェック・インの前にセキュリティチェックを受けます。(どこでも一緒かな?)見送りはここまで。
このチェックでお土産にもらった「短剣」がひっかかった。
刃がついてなくてもアカンのかね?やむなく、ゲートの向こうのタハ君に返品しました。

さて、いよいよ「本当に最後」です。全員、フェンスの向こうで一列になった。
「セイレツ!・・・センセイに礼!」
妙に湿っぽくならずに、笑顔での別れでした。1 2 3 4

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2008年3月26日 (水曜日)

最終回です・・・たぶん

2年間のエジプト生活は本日をもって終了です。(離陸まで8時間。ブログを更新している場合ではないですが) 滞在中の活動を振り返って、先日「帰国報告会」がありました。 これは、その発表に使った映像です。 私のテーマは(ご覧になればお分かりでしょうけれど)【お気楽に】…もとい、【力まずに】

ということで、さらばエジプト。マァッサラーマ。

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最後の晩餐

アスカラニ君をはじめ、合気道の生徒達には2年間、本当に世話になりっぱなしでした。
せめてもの感謝のしるしとしてエジプト最後の夕食は私がご馳走することにしていました。

2、3人だけを誘うつもりだったのが、話が広まって6人ほど集まってくれた。
メニューはケバブ(炭焼バーベキュー)その他。食事のあとはジュース屋でマンゴージュースとパフェ。

・・・で、結局全部 「ゴチ」になってしまった。申し訳ござらぬ。

「センセイ、またエジプトに来てくれよな。」
『誰かの結婚式のためなら、来てもエェな。』
「本当かい?俺たち全員独身だし、イスラムでは4人まで妻帯できるから、6×4 で24回は来てもらえるってことだな。」

・・・それは無理です。

【写真】 最後のメニュー。アラブの楊枝(木の小枝を切ったもの)。このように使います。1 2 3

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2008年3月25日 (火曜日)

帰り支度

いよいよ明日帰国です。

帰ってからも手続きやらなんやらあって、大阪に帰るのは来週になります。

荷物をまとめて部屋を「元通り」に戻して…。「センセイ、これはオレからの気持ちだ。」、「これはオレから。」、「オレも。」、「オレも。」…。

「気持ち」は有り難いですがね。荷物が、あとからあとから増える。
愛されている、ということを感謝しながら、何とかまとめようとしています。

それにしてもカイロは急に暑くなりました。
昨日の最高気温は38度でした。

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2008年3月23日 (日曜日)

ギザ動物園

家の近くに「ギザ(カイロ)動物園」があります。

かつては中近東一の規模だったとか何とかですが、若干動物の種類に物足りなさを感じました。飼育係にチップを渡せば色んな動物にエサをやったりライオンの子供を抱っこしたり出来ます。動物達の健康に悪影響は無いのでしょうかね?2_2 1_2

以前、生徒のひとりから「センセイ、ギザ・ズーにはジャパン・ハウスがあるんだぜ。」と聞いておりました。今回の見学の目的はそれ。
昭和天皇が皇太子時代(1924年)に当地を訪問されたときにゲストルームとして作られたとか。しかし、日本風というには…若干厳しいデザインです。 3_2 4_25_2

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サプライズ2

エジプトの海沿いの街は「シーフード」が美味しい。ポートサイード、イスマイリア・・・。アレキサンドリアも例外ではなく、色々と店があります。

なかでも、アブ・アシュラフという店は有名らしい。カイロから遠征してきた連中とそこで昼食を摂りました。

その店はかなりローカルな通りにありました。魚屋、包丁研ぎ屋、鳥屋(ウサギも売ってた)などと並んでいます。4 綿菓子売りも歩いていました。1 3 2

店頭の冷蔵庫(砕いた氷に魚を突っ込んである)で魚を選んだらすぐ横で捌いてくれます。それにしてもDr.マルグシは実に幸せそうな顔をして食べることよ。6 7 5

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サプライズ 1

数ヶ所の巡回指導地で順次「最後の授業」をしています。
昨日、アレキサンドリアへの最後の訪問を終えてきました。

私にとってアレキサンドリアは、この2年間で一番思い入れの深い場所となりました。自分の合気道を一番受け入れてくれたし、これからもよりよい方向に発展させながら継承してくれると思います。

その日は休日。
ガワッドさんと二人の、午前の稽古を終わって、「センセイ、街まで出て【お茶】しよう。ところで、【サプライズ】は好きかい?」
『なんのこっちゃ分らんけど、面白いことは好きやで。』

「カルフール」のあるショッピング・モール内のコーヒーショップでくつろいでいると・・・。

「センセ~イ!」と、9人ほどの一団が走り寄ってきた。よく見るとカイロのクラブのメンバーたち。
『なんじゃ、あんたら?何でここにいてるんや?』
「驚かせようと思って昨夜1時にカイロを出てきたんだ。朝の4時に着いた。みんなで昼飯を食ってその後、稽古しようぜ。」

まあなんと物好きな・・・。それにしてもありがたいことですな。A

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2008年3月18日 (火曜日)

日銀総裁候補

日本のニュースはNHKのインターネット版で読んだり聞いたりしています。

日銀総裁候補の記事の《田波氏》が《タハ氏》と読めて仕方ない。ラジオ版を聞いて納得・・・て、アホげなことを書いている場合ではない。早く荷物をまとめなければ!

あと8日。

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夜景

カイロ市内の主なビルディングやモスクはライトアップされていて美しいです。これまでに撮りためた写真を何点か・・・。

Dまず、アッバセイヤにある、【ヌール(光の)・モスク】
私はライトアップされたここがエジプトで観た中で一番美しいと思っています。B_2 A_2
次はカイロ大学とその前でジャレあうマルちゃんとタハ君の仲良しコンビ。

                                             ギザの【フォーシーズンズ・ホテCル】、大手携帯E電話会社【モビニール】のツFインビル。オーナーはここの最上階の5フロアーを住まいにしている、超々お金持ちらしい。次に、【エジプト・バンク】、【外務省のビル】と【テレビ局】。

Earthatnightafrica_t最後に・・・【アフリカ大陸の夜景】 ヨーロッパが全体に明るいのに比べて、アフリカ大陸はエジプトのカイロあたり(ナイル川沿い)と南アフリカが明るいですね。     

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2008年3月17日 (月曜日)

エジプト雑技団?

ファイヨームで出会った子供たち。テコンドーを習っているとかで、身体も柔らかいしとにかく元気が良い。 「合気道の演武」が目的で行ったのですが遊んでもらったというか、「遊ばれた」感じ。 やんちゃな彼らに合気道はどんな風に見えたんでしょうかね?

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ファイヨーム2

ファイヨームの町へ行った本来の目的は、そこで「ストリート・チルドレン」の世話をしているJOCV隊員のリクエストに応えて合気道の紹介をするためでした。

当日はタハ、マルグシ、ワリード君らの協力を得ました。帰国前、最後の演武の出前。・・・演武というよりも、やんちゃな子供たちと遊んできた、という感じですが。P1030996 P1040017 P1040010

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ファイヨーム

FayoumCimg3899  カイロの南西100kmほどのところにファイヨームという町があります。
エジプト最大のオアシスの街です。カルーン湖という大きな湖に近い。水車のある町。

カルーン湖には伝説があります:
昔、カルーンという名前の男が「何でも黄金に変えてしまう」超能力で大きな財を成した。神はその【力】を人々の役に立てるように命じたが彼は拒んだ。突然、地面が割れて湖が出来、男は財宝と共に水の底に沈んだ・・・。(アスカラニ先生からの聞き書き。一部うろ覚えです。すみませぬ。)

その「カルーン湖」の近くに、「カルーン宮殿」と呼ばれる遺跡があります。田舎の村に「忽然と」現れます。伝説の男、カルーンが住んでいた宮殿だということで一般にそう呼ばれているらしいですが実際はプトレマイオス朝(BC304頃~BC30)の建物だそうです。太陽光の取り込み窓があるのですが光の差し込む時間によって午前用と午後用に部屋が分かれているのが面白い。

ABCD    建物自体とその周囲は修復、発掘作業の途中といった感じでした。係りのおじさんたちもイマイチ、力が入っていない。
そのぶん我々は勝手に、「カルーンの伝説」にも関係なくワイワイ騒いで帰りました。

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スーフィーダンス

土産物屋街として有名な「ハン・ハリーリ」の近くで、定期的に「スーフィーダンス」の公演が行なわれています。 週2回の公演とは別の会場とグループで、こちらは「ヌビア(スーダンに近い地方)」の音楽とダンス。月2回の公演です。会場は前者に比べてやや小さいですが、その分舞台と観客が近くて迫力があります。特に注意されなかったので、ビデオで撮影してしまいました。 1時間半の演目の最後にスーフィー・ダンサーの登場。(ちょっと長い:全編で7分ほどです)。

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車窓から

アレキサンドリアへの道中、列車とバスの窓からの風景を何点か・・・。

Cimg3812 「ロード・オブ・ザ・ダンス」(アイリッシュ=タップダンスのミュージカル)公演があるそうです。料金は1000・600・400ポンド(高っ!)公務員の月給ぐらいする。  

Cimg3858_2
こちらは合弁企業らしいですが看板に違和感がある。

Cimg3881

Cimg3873

Cimg3884

ヒツジの牧場、ラクダの牧場、ハトの団地。

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2008年3月16日 (日曜日)

ホルモン焼き

【ホルモンの語源には諸説あるが、内臓は食用の筋肉をとった後の捨てる部分なので、大阪弁で「捨てるもの」を意味する「放(ほお)るもん」から採られた】という説・・・を私は信じていたのですがどうも違うようです。
テレビ「トリビアの泉」において、《ホルモン料理の名称は戦前から存在し、そして戦前においては内臓料理に限らず、スタミナ料理一般、例えばスッポン料理などもホルモン料理と呼ばれた》という説明がされたとか。
いずれにしても私の好物。美味いもんは美味い、ということ。

ある日、
「センセイ、ランチを一緒に食べよう。」
《最近、うちで飯を食べることが少ないなぁ。》
「何がいい?」
『このメニューは何? 内臓肉? へ~、じゃ、これにしよう。』

B_2A_2  前菜のパンやサラダも、これだけで満腹してしまうと分っていても、つい食べてしまう。
メインは、ハーブライスの腸詰めやら「ホルモン」のハーブ炒めやらスネ肉のスープなど。【美味いもんは美味い】のですが、これまた例によって量がとんでもない。
結局その日はこれ一食で翌日までもちました。

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2008年3月15日 (土曜日)

過食の典

「センセイ、帰国前に家に招待するよ。他のメンバーも呼んでディナーを一緒に食べよう。」
生徒のひとり、モハメッド・ハラワ君の家に招待されました。他のメンバーも入れて総勢14人ほどのパーティーとなりました。D メニューはコシャリ(混ぜご飯)、ビサラ(マメの煮物)、ハワウシ(挽肉入りパン)、ケーキ等。いつものように(夜中の12時過ぎだというのに)お腹がはちきれそう。
それはいいとして・・・。

この人、親子でビリヤードの選手だったそうで、リビングにビリヤードの台がA ある。トロフィーも数々・・・。
「センセイ、キュー(玉を突く棒)の素材で剣と杖を作ったんだ。プレゼントするよ。」
『へぇ~、よく出来てますな。おおきに。』

Bおとっつあん登場(この人も合気道をやってる)。「センセイ、百万ドルの楽器を見たことあるかい?」と、奥からバイオリンを出してきた。
『すとらでぃ・ばりうす?1719年製・・・ってあんた、コレはいわゆる世界中に数台という、【アレ】ですかい?』・・・どうやら本物の【アレ】だったみたいです。

C さらに、奥の書棚から【イスラム教百科事典】みたいな本=(イスラムのかなり権威のある解説書だそうです。全11巻。)
「この本はここにいる、アスカラニ君のおじいさんの著書なんだ。」
『あ、あぁ・・・さいでやすか・・・。』

この人たち、合気道は初心者やけど実はツワモノ揃いだったのね。

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接触事故

Cimg3590別に接触事故自体は珍しくないのですが、国連の車両とタクシーが「トラブって」いました。タクシーの運ちゃんにとっては相手が悪かった。

Cimg3575 ついでにもう一枚。近所のサンドイッチ屋さんで。このレジ係の女の子、眉毛が接触…いや、つながっています。エジプトは眉毛の濃い女性が多い。うちのお袋を思い出します。

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2008年3月14日 (金曜日)

接待絶命

セミナーは無事?終了しました。
「センセイ、ありがとう。みんな喜んでいたヨ。で、晩御飯は何を食べたい?」

待ってました!晩御飯…いやいや、参加してくれた皆さんが喜んでくれたなら「それだけで」充分ですよ。(…建て前上は。)

「センセイ、ビーフとチキンとどっちが好い?」
どっちでも好いですよ。』

A で、待つこと暫し、両方出てきた。意思の疎通が出来てなかった?

写真の、テーブルの真ん中付近にある【オードブル】のアエーシ(パン)とサラダだけでも小食の人ならかなり満足する量です。手前左は「ファッタ」といって焼肉乗せご飯。○野屋の牛丼大盛りぐらいの量です。B右はチキンのグリル=半羽分。付け合わせが大盛りライス。
《冬眠前のクマみたい。》…と思いながら残すのも気が悪いし、結局、米はテイクアウトにして翌日の朝ごはんになりました。 食後にバナナとミルクの「みっくちゅ・じゅーちゅ(®サンガリア)」(カロリー高い!)。

帰国も間近になって毎日のように食事に誘われますがいつもこんな具合でいつも胃袋はパンパンの状態。【玄米、粗食、小食】主義のうちの師匠に知れたら間違いなく【破門】ですね。
現地人に溶け込むには「同じ言葉をしゃべって同じものを食う」のがコツですが、私の場合、言葉はともかく胃袋だけは充分に対応しているようです。

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さよならコンサート

「オノセンセイの合気道セミナー」の日が来てしまいました。
「俺たちはセンセイの合気道が好きだからクラブ外の奴らにも紹介したいんだ。」という「アツイ」言葉と「晩飯をおごるから」という誘惑につられて、つい引き受けてしまったのが2週間前。

『じゃまくっさいのぉ~。やっぱり、断わったらよかった。』…おっと、つい本音が出た。仕事仕事。本来の任務を忘れてはいけません。
【何の為にキミはエジプトにいるのか!(ブログばっかりやってる場合じゃないやろ!)】と嫁からもたびたび叱られているではないか。

で、当日。集まったのは40名弱。合気道クラブから半数と、外部からはカラテ、テコンドー、忍術同好会(!)など。

合気道初体験者たちに合わせて、まず「手ほどき」ということで、つかませた手の外しかたやらなんやらから始めて・・・。みんな興味津々で聞いています。実際にやらせてみるとキャッキャ言いながら楽しくやっていましたから、まぁ、引き受けて結果オーライということでしょうね。
ただ、私のキャラクター的に「マジメな顔」が2~3分しか保たず「オチャラけ合気道」に脱線しそうになるのを止めるのに苦労しました。

【写真】右端は講習会の修了証。指導者の欄にサインしているうちに自分にも欲しくなったので、自分用に書いてしまった。隣は空手(松涛館)のアリ先生。

1_2 2_2 4_2

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2008年3月13日 (木曜日)

帰国前の大舞台

「体験コーナー」の定番の技、小手返し。このチビッ子、喜びすぎ。

本番終了後に舞台裏でみんなでジャレていたらどこかのテレビが取材に来た。
「あなた方の【killing technique】を撮りたい。」という申し出にタハ君ら生徒達は大反発して取材に来た彼らに説明する。
「合気道は【killing technique】じゃないんだよ。」・・・よくぞ言った。

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大舞台

今年は【日本・エジプト科学技術交流年】だそうで、先日オープニングセレモニーがありました。同時にその一環として日本大使館主催で【日本・エジプト児童友好の日】というイベントが開催されました。
A_2 JICAボランティアにも参加依頼があり、JOCV隊員達による人形劇や子供たちとのワークショップなどの形で参加しました。
日本文化紹介ということで私も生徒達の協力を得て合気道の演武をしました。(新聞記事の赤枠部分)

会場は土産物屋街で有名なイスラミック・カイロ、ハン・ハリーリの近くの「アズハル公園」。カイロ市内のモスク群を一望にしながらの演武。
キャ~、エキゾチック!

実はその数日前に別の小さなイベントに来られていた在エジプト日本大使に「小野さん、アズハルの件、よろしくお願いしますね。」と、直々に声をかけられておりました。この方、政府高官との会談やらで目の回るような日程の中、こうして現場にもプライベートで足を運ばれる。実に気さくでフットワークの軽い方です。偉ぶったところが全く無い。
大使に言われたから頑張る、というわけじゃないですがやはり気持ちの入り方が違ってきます。

・・・とはいうものの「オチャラけ合気道」の性格は如何ともし難いわけで、「マジメな顔」が2分と続かぬ。ウルトラマンより短いですな。ま、みんなが楽しんでくれればよろし。
当日は、日本の企業の協賛で浜松から「大凧揚げ」のグループの参加もありました。キャンペーン・ガールのオネェさんとのツーショットもあったりで【自分が一番楽しんだ一日】だったかも。1 3 4 2

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2008年3月12日 (水曜日)

マルチ・リンガル

ある日・・・。
『ワリード君よ。借りてたデジカメのSDカードは明日の稽古の後に返すわ。』
「センセイ、今、ニホンゴでしゃべっていたよ。」
『・・・おっと、ウッカリしてたわ。でもあんた、俺が何を言いたいか分ったんやろ?』
「【SD card】【ashita】【keiko】....You will give it back after practice tomorrow, right?」
『わかったらそれでエェがな。』
「Again, Sensei. It's Japanese!」

こうして、2年の間「言葉に不自由することなく」(?)過ごしてきました。
外国語の「会話能力」と「コミュニケーション能力」は「似て非なるもの」だと私は思っていますが、やはりしゃべれるに越したことは無い。

うちの生徒はアラビア語+英語もしくはフランス語の「バイリンガル」が多くいます。道場長のヒシャムさんにいたってはそれに加えて日本語、トルコ語、手話がアメリカ式とエジプト式、のマルチ・リンガル。ここまでくると【才能】ですな。

一方、タハ君はほとんど英語を解しません。それでも、彼の十数語のボキャブラリーの英語と私の十数語のボキャブラリーのアラビア語で結構、意思の疎通が出来ていて一番仲が良いというのは・・・愛があるから?もとい、お互いを理解しようと「合気」しているから、ということです。たぶん。

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F.B.I.

稽古の後、「センセイ、ジュースを飲んで帰ろうゼ」ということになりました。

Cimg3516Cimg3513スポーツクラブの中にはレストラン、ハンバーガー屋(顔より大きいハンバーガー)、その他色んな売店(書店やスポーツ用品店など)が入っています。ジュース・スタンドもある。
その名も「Fruit Basket International 略して F.B.I.」 

街の中でもあちこちにジュース屋があって、私の好きなサトウキビジュースなどはグラス一杯10円ほどで飲めます。街の中には衛生上「厳しい」店もありますが、ここは大丈夫。なにせ「F.B.I.」ですから。…なんじゃ、そりゃ。

「センセイ、もっと飲みなよ。おごるゼ。」
「俺も。」 「俺も。」
そない仰山飲めるかいな。美味しいけれど、なにごともほどほどに。

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2008年3月11日 (火曜日)

カイロ市内観光最終回?

『アスカラニさんよ、俺や俺の友達をあちこち連れて行ってくれてありがとう。いつも世話になりっぱなしやな。』
「センセイ、お安い御用だよ。それより、カイロには未だセンセイの見ていないところが残っているよ。」

カイロ市内の北東部、ナセル・シティーの近くに「マッタレイヤ」という町があります。4 3 5 そこに「聖母マリアの木」というのがありまして、「ローマ帝国の迫害を逃れてエルサレムからエジプトに流れ着いたイエス・キリストの一家がその木陰で休息をして、傍の泉の水を飲んだ」という伝説があるのだとか。

あまり大きな施設ではないです。町の真ん中にいきなりある。「知る人ぞ知る」という感じの「名所」。樹齢だけを考えたら「縄文杉」の方が古いのでしょうけれどね。

そこから車で10分ほど走ると、「アインシャムスのオベリスク」があります。
こちらはエジプト12代王朝の第2代ファラオ:Senusret Ⅰ(1971~1926B.C.)のものだとか。興味のある方はWikipediaなどで調べてみてください。(写真右:オベリスクの基底部には4面にアラビア語、英、仏、独語で説明書きがある)

67  「センセイ、見てみろよ。観光施設なのに外国語もしゃべれないオバサンたちがチケット売り場に10人近くいる。あれはみんな政府に雇われているんだ。こんなところがエジプトの問題なんだ。雇用を見直さなきゃいけないよ。」
私にとっては、アスカラニ君の国を憂えるセリフが印象に残った「半日観光でした。」

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2008年3月10日 (月曜日)

回せなかった

帰国が近づいて、友人たちとの話題は「帰ったらまず何を食べたいか?」という話になることが多いです。

焼肉、きつねウドン、お好み焼き…寿司。
『【回転すし】なんてなつかしいなあ。』 なんて言っていると、
「カイロにもありますよ。」 しかも、うちの近所にあるらしい。

Cimg3598Cimg3600  ネットや何かで色々調べてみると、ありました。味の方も、日本人にもそこそこ好評みたい。誘い合って「行こう…」と決まりかけたのですが、予算的に厳しいものがあった。一人4000円ほど覚悟しなければならぬ。(写真は皿の色別料金、1LE=20円ぐらい)…で、今回は見送りとなりました。

Cimg3604 代わりに近所のスーパーで「イクラ、スモークサーモン、エビ」など仕入れて手作りの海鮮丼大会になりました。予算約1200円相当。「回転」は実現しませんでしたが、みんなでワイワイと楽しいパーティーでした。
で、大阪に帰ったら…やっぱり鶴橋の「やぁむ」で焼肉かな。

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2008年3月 9日 (日曜日)

カップラーメン

私は基本的にインスタントラーメンは食べません。「スープの素」を使ってダシから作ります。(まぁ、それも厳密には「インスタント食品」に分類されるんでしょうけど)そうした方が他にも応用が利くから、というのが理由ですが何かの拍子に無性に「インスタントラーメン」を食べたくなるときがあります。

近所のスーパーで「シーフード味カップヌードル」を買ってきました。「タイ向け」の製品が流れてきているらしい。同じ棚に「トムヤムクン味」が並んでました。

Cimg3357Cimg3358あけてビックリ。  折りたたみのフォークが入っていた。コレは便利ですな。たしか日本ではこういうの無いですよね?日本のメーカーの製品ですけど、衛生上の問題でもあるのか知らん?

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2008年3月 8日 (土曜日)

痒い(かいぃ~)の!

合気道の生徒、オマール君たちに誘われてふたたび乗馬をしてきました。

彼の従兄弟が経営する厩舎に行ってしばらく見学した後、1時間ほど「ギザのピラミッド」南側に広がる砂漠地帯を走り回って帰宅しました。
その翌日から…体中あちこちが「痒い(かいぃ~)」のなんのって、あぁた。往年の「間寛平」さん状態ですな。
どうも馬から「ノミ」をうつされたらしい。シャレでなく、「蚤」の市になってしまった。

歳をとるとね、皮膚のちょっとしたキズでも治りにくいし、「跡形」が長く残ってなかなか消えないんですよね。

21  ウマたち(左の子:生後3週間、右は4ヶ月)にはもちろん「悪気は無い」んですけどね。
ムヒが利かぬ。1週間経つのにまだまだ悩まされてます。

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2008年3月 6日 (木曜日)

蚤の市:ラクダ市場 2

「ラクダ市場」の隣りで、いわゆる「ノミの市」が開かれていたので『ついでに覘いて帰ろうぜ』ということになりました。

洗面台やらドアがやたらに目に付いたのですが、ホテルやアパートの改装などで不要になった部材が多く集まっているそうです。自分のアパート(部屋)を用意するためにここで中古品を買って、キズや塗装を手直しして使うらしい。
この、「アパートを用意する」というのがエジプト人男性にとって結婚の為の非常に大きな条件だそうです。婚約してから住居、家具類等全てを半年とか一年かけて整えるんだとか。

あとはパソコンの部品やら、ゴミか売り物か判然としないものまで色々でした。
『お、ここまでバスも通ってるんやな。』
「でもあの車はナンバープレートが付いてないだろ?あれは、ごく近くの村だけだ。ギザまでは行けないよ。そっちのやつはどうやら街道まで往復しているらしいけど。」

「何でもアリ」のノミの市にはバスも「何でもアリ」が相応しい?
ところで3番目の写真ですが、何を売っているのか分りますかね?端の写真、肉屋さんは帰りの道沿いに見かけた「店」です。真ん中にぶら下がっている「モモ肉」は大きさと形からしてどうやら「ラクダ」らしい。
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2008年3月 5日 (水曜日)

ラクダ市場

『アスカラニさんよ、【キャメル・マーケット】の場所と時間を知りたい。何とか調べられへんか?』

キャメルマーケット=ラクダ市場 については、その存在や訪問記はあちこちのwebサイトで見るのですが、正確な場所がどうしても分らぬ。エジプトを離れる前に是非とも見ておきたい場所だったので彼に頼んだわけです。
【歩くウィキペディア】アスカラニ君も今回は手こずったようです(それ以前に本業の「勉強」が忙しそうやったが)。でも、さすが!調べてくれました。
「センセイ、わかったよ。今度の休みに一緒に行こう。」
『どうやって調べた?』
「《webサイト》じゃ分らなかったんで、ラクダの肉を扱っている《近所の肉屋》で聞いた。」
『なるほど。』

キャメルマーケットは元々「インバーバ」という地区にあったそうなのですがFrom_sherif「再開発のジャマ」という理由で移転したらしい。(写真は移転作業の様子です…ウソですよ!)
今は、マンスレイヤのベルカッシュという村(町?)にあります。ギザのピラミッド地区から北へマンスレイヤ運河に沿って約20km、そこから標識に従って西へ約5km。入場料、カメラ持ち込み料(共に観光客のみチャージされる)それぞれ20Le、10Le。(400円と200円)

この市場のラクダたちはスーダンからはるばる歩いて来るそうです。だから市場も砂漠と市街地の境界に近いのでしょうな。買い手がついたらトラックで運ばれていきます。ほとんどは食肉用(低脂肪でヘルシーだそうですよ)。1頭 8~10万円相当。出せない金額ではないですけど・・・街中では飼いにくい、かな。1 24  3

【写真左から】 何百頭のラクダたち。 本日のお買い上げ。 《逃亡》を防ぐ為に左前足を縛ります。 セリの様子。

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2008年3月 4日 (火曜日)

「ガス欠」って、あんた・・・

ある日、タクシーに乗りました。
『ガマァッド・デュアル(アラブ連合通り)』
「OK !」
珍しく、気の良さそうな若い運転手でした。

5分ほど軽快に走って…止まりました。
「ミスター、ガス欠だ。予備タンクが調子悪いんだ。だけどすぐ直るからちょっと待っててくれ。」
ダッシュボードの下をゴソゴソと配線をいじる。…5分、10分。

「もう少しだ。」
降りて、ボンネットを開ける。
ブルン、ブル、ル…プスン。

『もう、エェ。降りるわ。』
「そ、そうか?すまねぇな。」
交差点の真ん中で予備タンクを修理する度胸は評価するけど、その手間でガソリンを買いに行ったほうが早いやろ、あんた。1 2 3 4

【写真】
1.メーターは付いてるんですけどね。(おぉ、メイドインジャパン!)使われてはいない。
2.なんと!時速120km…で針が壊れたまま。
3.昼食を摂ったレストラン。お姉さん達はデリバリーの電話受付嬢。
4.近所のビジネスマン達。

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2008年3月 3日 (月曜日)

エジプト史の有名人

高校生のアブドルラハマン・オラビ君という子がいます。陽気で、身体もよく動くのでみんなによく「イジラレ」ています。私も稽古の時によく「受けて」もらいます。

ある日の稽古前、携帯の画面に見入っておる。
『何を見てんねん?』
「S.セガールの映画だよ。刑事ニコ。」
マニアがここにもいたか。
「センセイ、近所に《アハメッド・オラビ通り》っていう道路があるだろ?あれは僕の曽祖父さんの名前なんだ。」
『へ~、エジプト人は同名が多いからな。』
「いや、《ひいおじいさん本人》のことなんだ。」
『へ?』

聞くと、彼の曽祖父に当たるアハメッド・オラビ氏は軍人で近代エジプト史に大きな貢献をした人だそうでシタデルの軍事博物館にも名前が残されているとか。

偉大なご先祖様・・・に関わりなく、今日も彼はみんなのオモチャになっています。

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2008年3月 2日 (日曜日)

フィーバー!

どうも体がだるくて、関節も痛い。
『風邪みたいやな、イヤやの~。』
と、思いながら体温を測ったら40度を越えていました。Cimg3371

新記録~!って、写真を撮ってる場合ではないけれど。

2、3日前から調子は悪かったのですが、あらためて数字で示されるとダメージ倍増です。ハーブティー、ハチミツと解熱剤で何とか翌日には押さえ込みましたが。

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2008年3月 1日 (土曜日)

ワタシ、あらびあゴ、ワカリマセン

毎週、アレキサンドリアへ行くための切符は駅まで買いに行っています。

「朝、9時だったわね?明日でいいかしら?」
『アイワ。(Yes)』
最近は顔を覚えられているのでこちらがしゃべる必要さえない。

外に出ると年配のご婦人が話しかけてきた。
「おにいさん、切符売り場はこっちだかね?」
『そうっすョ。』
「すまねぇけんど、******」
どうやら、自分の代わりに切符を買ってきて欲しいらしい。

『マダム、アナ、メシュカラムアラビィ(私、アラビア語を話せません)』
「んじゃ、仕方ねぇだな。」
I can't speak English. と英語で言っているような違和感のあるやり取りですが、何とか分ってもらえたようです。ややこしい話は私には出来ぬ。この人、通りかかった他の【エジプト人】に頼んでいました。

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